東京青山「梅窓院」に於いて、山口二矢烈士没後五十七年の墓前祭が営まれた。 これまで長きにわたり、岡田尚平先生、山口申顧問が世話人として墓前祭を営まれ、現在は、福田邦宏氏を中心に有志が参集している。 昭和三十五年十月十二日、日比谷公会堂において、三党首演説会中の社会党党首、浅沼稲次郎を刺殺した山口烈士は、逮捕後、かねての行動計画のとおり、後悔せずともその罪を償うとして、十一月二日のこの日、拘束先の少年鑑別所房内にて、「七生報國 天皇陛下万才」と練り歯磨きで書き遺したのち自決した。 わずか十七年の人生。 「悔いなし」とする強固な信念と行動力で、当時の赤化煽動陣営に強力な楔を打ち込んだのである。 その精神を我がものとし、後に続いた各烈士の系譜に連なる我々には、今も強い自覚が求められている。 辞世の句 「国のため 神州男児 晴れやかに ほほえみ行かん 死出の旅路に」 「大君に 仕えまつれる 若人は 今も昔も 心かわらじ」 #
by minkaku-okuma
| 2017-11-03 11:41
| 行事
平成29年10月15日(日)。
都内に於いて、「國粹青年隊創立五十周記念」の祝宴が催された。 この日は神宮に行事出席の犬塚議長を除き、山口顧問をはじめ、同人、ほぼ全員が出席した。 国民儀礼に始まり、吉岡亜樹國粹青年隊会長のご挨拶がある。 祝宴は二時間に及び、最後に國粹青年隊幹部のご紹介がある。 #
by minkaku-okuma
| 2017-10-20 12:37
| 行事
平成29年10月9日(体育の日)。
秋日和のこの日、定例会は事務所での会議ではなく、趣向を変えて東京下町「深川」近辺を散策することとした。 最初に訪れたのは「芭蕉記念館」 目的地途中にあるのが「大鵬道場(大嶽部屋)」。 横綱大鵬関は「巨人・大鵬・卵焼き」と流行り言葉が生まれるほど、全盛時の昭和30年後半から40年代にかけ、子供たちに大人気であった。 ほどなく「清澄庭園」着 「清澄庭園は、泉水、築山、枯山水を主体にした「回遊式林泉庭園」。明治11年、岩崎彌太郎が、荒廃していたこの邸地を買い取り、社員の慰安や貴賓を招待する場所として庭園造成を計画、明治13年に「深川親睦園」として一応の竣工をみた。彌太郎の亡きあとも造園工事は進められ、隅田川の水を引いた大泉水を造り、周囲には全国から取り寄せた名石を配して、明治の庭園を代表する庭園が完成した。」 先程訪れた松尾芭蕉の有名な句碑がある。 一時間ほどの散策ののち、深川江戸資料館に向うが、その道すがら名物「深川めし」をいただく。 「深川めし」とは、ざっくりと切った葱と生のあさりを味噌または醤油で煮込んで熱いご飯にぶっかけた漁師の知恵の一品。 深川は、江戸時代は漁師の町として栄え、江戸前の魚貝類や海苔などを捕る漁師が大勢おり、 特に、良質のあさりが沢山捕れたところから、それを深川名物とされ、現在も、所謂「東京下町グルメ」として人気が高い逸品である。 今回、弊会同人多くの秘めたる参加の目的は、案外ここにあったのかもしれない(笑)。 その後、本部事務所他で有志による懇親会。 今回の散策は、ご地元ということで山口顧問にすべてご案内を頂き、新たな発見と楽しい時間を過ごすことが出来た。 ありがとうございました。 #
by minkaku-okuma
| 2017-10-13 19:17
| 定例会
10月7日(土)、新宿駅頭にて「社会の不条理を糾す会」定例街宣が行われ、弊会からは丸川、水谷、盛、横山各同人が参加した。
通常、毎月第三土曜日に開催されているが、衆議院選挙を間近に控え、今月は繰り上げてこの日となった。 所謂、「もり・かけ」問題をおざなりに保身を図る自民党及び自公政権。 「政権選択選挙」をうたってはいるものの首相候補の顔が見えない希望の党。 左翼色が一層濃くなっただけでまるで新鮮味の無い「立憲民主党」。 争点らしい争点の見えにくいこの度の選挙。 政治の世界は魑魅魍魎とは昔からいわれるが、変節せず、自己を犠牲にしてでも国家、国民を守ろうとひたすら働く政治家は望むべくもないものなのだろうか。 選挙公示を直前にして、この日も民族派同志らは内憂外患こもごも至る我が国の現状を道行く人々に強く訴えた。 #
by minkaku-okuma
| 2017-10-12 17:56
| 運動
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by minkaku-okuma
| 2017-10-05 13:16
| 運動
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