公開討論実施に関する申し入れ(協議メモ)
一水会顧問 鈴木邦男殿 平成 27 年6月6日 犬塚博英(民族革新会議議長・八千矛社主幹)
はじめに 今般の一水会・木村三浩代表糾弾活動に伴う 2 度の「木村見解」、更に「独自活動宣言」に至る当事者間の話し合いの席上、不肖・犬塚の日頃の言動が少なからず問題視され、貴殿と小生の公開論争の実施が条件となっている由を聞き及んでいます。
関係者の努力に敬意を払い、貴殿との討論が建設的な成果を見い出すことに務めたく思います。関係当事者の協 議では、この6月の始め(1 日、2 日)辺りに貴殿と小生(若しくはしかるべき参加者を加え)との間で、「憲法問題」 を主たるテーマに二時間程度の公開論争を収録し、「ニコニコ動画」でネットにアップするとの大まかなプランが決まっていたようです。しかし、両人以外の参加者や司会進行役の人選などに手間取って実現に至っていません。
先日、民革側の折衝を担当してくれた水谷浩樹君(大地社代表)を交えて、木村代表と小生の三者協議の結果、 先ず小生が公開討論の論点、実施要項の方法などを整理した「実務協議メモ」を提出、それに鈴木顧問が対応するなどの手順を踏んで、可及的速やかに両者が論争のテーブルに着く環境整備を図ることの合意に至りました。 なんと貴殿との論争にはハードルが高いか、論争する前に疲れてしまいます。
犬塚の基本的立場と貴殿との論争の不可避性
【一水会創設から独立】 小生は三島・楯の会事件を巡る「憲法裁判」毎に長崎から上京、両烈士の憲法と刺し違えた訴え、改憲運動の突 破口とすべく奮闘したつもりである。昭和47年3月裁判結審、同時に卒業・上京し、新たな民族派青年・社会人運動を切り開くべく努力した。一水会結成は同年 5月のこと、小生の上京、会派結成の促進、根回しの効果ありと見るのは手前味噌の評価だろうか? 当初の一水会の運営は貴殿、阿部勉氏、小生の三者三様の職務分担と敢えて組織的統一性を求めない、梁山泊にも似た自由闊達さが魅力でもあっただろう。
S50年4月に野村秋介兄が千葉から出獄、一水会を主とした民族派学生運動関係者とドッキングして、東北地方を主戦場に「新しい日本を作る青年集会」運動を精力的に展開したのも懐かしい。S51・2月号『現代の眼』誌上での野村・鈴木による対談「反共右翼からの脱却」が、「新右翼をつくった」との貴殿の指摘も正当な評価であろう。その 2 年後に野村兄は、同志 3名と経団連事件を惹起し、裁判闘争を経て再度の収容生活に入った。
民族派学生運動は「反共右翼」「体制補完勢力」への拒否感をモチベーションに、核防条約条約粉砕闘争などを 経て対米自立、ヤルタ・ポツダム体制(YP体制)打倒に収斂、日米安保と占領憲法を一体として同時に否定、克服するのが大まかな方向性だった。「民族派」も「新右翼」も同義語と捉えられる時期もあったが、小生は一水会在籍中から民族革新会議に加盟し、「民族派右翼」も「右翼と新右翼」の色分けも不分明になっていったのも仕方がない。 鈴木代表(当時)とは「生長の家」の天皇信仰をベースにした尊皇・愛国の思い、時期は異にするが学協運動を経た共通点を持ちながら、育った環境、気質の違いから見解を異にすることも少なくなかった。特に「元号法制化」問題や、「皇室ポルノ事件」(『噂の真相』騒動)で決定的な対立を生み、小生は一水会を離脱、「八千矛社」を再興継承して独自路線を進むことを選んだ(S55・5)。
木村三浩君が一水会書記長に就任する頃(H4)から、阿部勉や小生など一水会 OB に助言を要請されるなか、同君を「青空議会」や「一水会」に近づける契機をつくった責任もあり、相談役や顧問の立場で憎まれ口や苦言を呈し、時には同一歩調の運動を担ったこともある。「国賊・金丸信糾弾」や「住友不動産弾劾闘争」では夫々よく任を果たしと思う部分もある。こうした闘争の過程で、未知、既知に係らず少なからぬ同志が囹圄の身となり、新しい民族運動の地平を切り開くことに互いに懸命だった。
【作られたカリスマ新右翼との思想的乖離】 一水会機関紙『レコンキスタ』創刊350号記念(H20・7・1)に木村代表に乞われインタビューを受け、元号法制化や「皇室ポルノの事件」の対応で一水会を離脱した経緯や、右翼の右翼たる所以についての存念を吐露したことがある。それは皇室の尊厳護持と国家主権の確立、冷戦構造崩壊後も色濃く残る共産主義の残滓一掃、更に思想と 行動の一致を不可欠とする右翼の行動主義(条件付ながら直接行動を留保する)の三点をあげたが、その基本姿勢は不変である。
鈴木顧問は機関紙『レコンキスタ』名に固執したように、日本独自の主権領土、伝統文化を奪回する維新運動を敢えて、スペインの「レコンキスタ」運動と表現するように、「右翼らしからぬスタイルや言動」で世間の耳目、特にマスコミの関心を集めることに熱心だったような気がする。
第一次安保騒動が沸点に達する S35・1に社会党右派が離脱、新党結成したのが民社党だが、社会党と民社党は誕生の経緯から、党の政策、運動方針は悉く正反対、真逆の関係だった。同様に、鈴木顧問の言説は、真っ当な右翼、 正統右翼を志す小生とは凡そ両極、真逆な位相にあった。
憲法(改憲問題)、皇室典範(女系女帝容認や女性宮家創設など)、「国旗国歌の強制に反対」「愛国心は汚い言葉」「自虐史観のどこが悪い」とばかり、「新右翼・一水会顧問」の肩書きがなければ、左翼、極左と見間違うばかりである。 「右傾化を心配する新右翼団体顧問」「自由のある押し付け憲法が自由のない自主憲法よりいい」等などの暴言?には、遂に堪忍袋の緒が切れて、年少の小生が貴殿への「絶縁宣言」を公にし、一水会顧問の役職も返上した。(H26・ 4・14「犬塚ブログ」)。
一水会とは完全に縁を断った、縁を切ったのだから、各自ゴーイング・マイウエイとなればトラブルはないのだが、一水会の鈴木顧問、木村代表はマスコミへの発信力が強く、メディアも「右翼の意見も聞いている」といったアリバイ証明的に両者を多用し、「(良質な?)新右翼も反対する」といったマクラを付けて、「憲法改悪」「集団的自衛権行使容認」「ヘイトスピーチ」反対といった二人の言説を際立たせる。特に東京では視聴できない関西方面の「たかじ んのそこまで言って委員会」での鈴木顧問の「右翼らしからぬ発言」は、地方の同志友人の反発を招くこと甚だしく、放映日には決まって苦情が殺到した。北朝鮮の拉致問題を取り上げた同番組では、「一時帰国の約束を反故にした日本に北は反発している」と主張する鈴木氏に、金美齢女史が「あんた、どうかしてるんじゃないの」「北朝鮮の立場でもの言ってるわけ」と難詰する。
台湾出身の帰化日本女性にも馬鹿にされる「カリスマ新右翼」といった見せ場をつくる局側の見立て通りの発言を演じる。 鈴木邦男「右翼はテレビに出て発言させてもらえない」 宮崎哲弥「じゃ、どうしてあなたは出れるの」 との遣り取りは実に噴飯モノでしかない。テレビなどマスコミに出続けるためには、「新右翼・一水会顧問」の肩書きは必要不可欠なのか?
「左翼度70%、右翼度30%、ほとんど左翼」と自らを語りながら、「君が代を歌った回数5千回、日の丸を掲げた回数も5千回、靖国神社への参拝は5百回、日本一の愛国者を自認」しておられるそうですね。貴殿とも親しい「自称右翼青年」が音痴などというレベルではなく、まともに君が代を歌えないとの話を聞くにつけ、どのような教育をしてこられたのか、歯噛みする思いである。
共同通信社が全国配信する記事は地方紙を大きく飾り、昨年夏の「戦後70年への視点~愛国心 官製の臭い(H26・7~8)という貴殿へのインタビュー記事は、地方の右翼運動家から非難轟々、(かっての同志だったというだけで) 小生も巻き添えを食う始末だった。
【正々堂々の論争を求める】 今回の当時者間の協議での結論「独自活動宣言」では、今後一水会は「自らは右翼を名のらなず」に独自の国家革新運動を進めていくという。回りくどい木村代表特有の表現だが、右翼民族派の多くは、砕けて言えば「右翼の看板を外させた」「右翼陣営から追放した」と解釈している向きが多い。一水会が右翼民族派の敵対勢力なのかどうかは判然としない。貴殿も「一水会は右翼(新右翼も含む)を自らは名乗らない」ことに納得しておられるのか?
今回の一水会糾弾行動に、「新右翼団体・一水会」を冠しながら、右翼らしからぬ言動を展開してきた鈴木顧問への反発が底流にありながら、鳩山元総理のロシア・クリミア訪問をプロデュース化した木村代表への批判が一気に噴出したことは間違いないだろう。糾弾運動の中心にいた民革同人の盛義一君(盛道烈士会会長)が話し合いに応じてくれないことを訴える木村代表の電話に対し、「木村見解は事実に即していない」―1年以上にわたり民革同人が入れ替わり、鈴木顧問と小生の公開討論を要求し、その度に実現に努力する旨を約束しながら、実現に至っていない。 「鈴木顧問と犬塚の個人的な確執は当事者間の問題であり、周囲が巻き込まれるのは好ましくない」との「見解」(弁明) は、「両者の個人的確執に問題を矮小化する狙いが明白で、男として最も忌むべき二枚舌である」と厳しく反論した。この時点で「見解」に対する「反論」も考えたが、火に油を注ぐ懸念もあり事態の推移を静観してきた。
木村代表も糾弾メンバーに「正々堂々の論争、話し合いをしよう」と呼びかけていた。 鈴木顧問も「コーブ上映阻止」運動団体に対し、「愛国者なら一対一で(討論)やろう」と呼びかけていたはずである。 「木村見解」では、「10回以上も呼びかけてきたが、調整がつかず、日程も決められない」と弁明しているが、私個人は一度も日程や公開討論の方法論について相談を受けたこともなければ、勿論断わったこともない。「何時、何処でも、どんな方法でもOK」を宣言してきた。 一水会主催の討論会で木村代表が司会進行し、鈴木顧問と小生が憲法(国体)や愛国心をテーマに広範に論議する。 問題点を鮮明にする為に、鈴木 VS 犬塚の直接対決が好ましい。各自が一定時間(5~10分)、テーマに沿った自説を展開、後は交互に疑問や反論をぶつけていく(1 回3分以内)、「公平公正」を原則に、聴衆参加型にするかどうか検討して合意点を見ればよい。会場からの質問を受け付ければ、進行、仕切り役に人を得なければ、論点が散逸し、 場合によっては罵倒の応酬にもなりかねない。
小生は討論に他の討論者も加えるか、傍聴者の有無など、基本的には何れでも可である。ただ、鈴木顧問も運動家と自己規定する立場であるはず。憲法学者などを加えて、アカデミックな憲法論争も面白そうだが、飽くまで拘るのは運動家の立場での発言である。論争への参加や進行の取り仕切りを望む人がいれば決して拒みはしないが、発言には全責任を一身に負う、放言に済ませるつもりはない、それだのけ覚悟は最低限の参加要件になるだろう。 討論、対談内容を即日か、後日かは別にして「YOUTUBE」や「ニコニコ動画」などで公開し、不特定多数の視聴者の判断に供することも基本的には反対しないが、「生放送」の必要性は全く感じないし、むしろ一考を要すると思っている。しかし、これさえも鈴木顧問との「公開討論」を拒む何らの理由にもならない。「何時でも、何処でも、どんな方法でも結構です」。互いに正々堂々、公明正大に、今後の民族派維新運動、若しくは国家革新運動に資するような論争になることを大いに期待しています。後は鈴木顧問の決断を待つだけです。 【参考】5月 10 日に木村代表に申し入れした論点 議論は、以下の六点を中心としたい ・ 国旗・国歌、元号に対する姿勢 ・ 皇室典範改定、女系女性天皇問題 ・ 憲法改正への姿勢 ・ 三島・森田両烈士追悼・遺志継承(野分祭)の姿勢 ・ 大東亜戦争の意義・評価、靖国神社、所謂「A 級戦犯」問題など ・ 愛国心、愛国者とは?
by minkaku-okuma
| 2015-08-17 16:31
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